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I'm done(私は終わりました)という表現は非常によく使われるが、この言い方には、最初に聞いたときから違和感を持っていた。Do の過去分詞が形容詞化したのなら、The job is done で仕事が終わったという意味になる。それを I を主語にして言い換えれば、I did the job あるいは I have done the job である。ところが、実生活では、この状況で I'm done がよく使われる。つまり、終わったのは仕事ではなく、むしろ「私」なのだろうか。

冒頭に添えた和訳も「私は終わりました」と書いたことだし、日本語も「私が何かを終えた」のか「私自身が終わってしまった存在」なのか曖昧である。つまり、I'm done に感じた違和感とはそういうことだ。日本語より論理的で曖昧を許さないはずの英語が、まるで日本語のような曖昧さを持っている。
ちょっと理屈っぽくなってしまったが、先日この曖昧さを表す面白い場面に出くわした。職場のカフェテリアで、いつも嫌味なほどに陽気な営業部長が現れて、コーヒーを淹れ終わったばかりの女性の後ろに並び、Are you done here?(もう済みましたか?)と訊いた。すると、その女性は I'm so done here と so の部分をものすごく強調して答えた後、仕事の愚痴を並べ始めた。私はもうすっかり、今の仕事に対し、気持ち的に終わっている、というようなことを言っていた。
営業部長は Are you done here の Here はコーヒースタンドことで、会社のことじゃないんだけどな。それに、会社を指して、Are you done here? なんて、立場上、訊けるわけないじゃない、と笑っていた。お互い、誤解したわけではなく、知っていて、わざと交わした冗談半分、本気半分の会話なのだが、はたで聞いていて痛快なユーモアだった。